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釉薬のさえずり 4

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釉薬のさえずり
~土と焔の森 番外編~
4



早朝5時に携帯の振動で目を覚ました。
7時から東方見聞誌とのネット会議がある。

隣で枕の端に顔を埋めたチャンミンが、身じろぎひとつせず眠っている。

静かな寝息。
僅かに微笑んでいるような唇。
寝起きに眺める天使の寝顔。

チャンミンを起こさないようアラームをバイブだけにしておいて良かった。

指で睫毛の先端に触れ、眉毛をなぞる。
胸が苦しくなるほど綺麗で、俺の指先は震えた。

気づくと20分もチャンミンの寝顔を眺めていた。

ベッドから起き上がろうとした俺は、腰をあげようとして後ろに仰け反った。
チャンミンがパジャマの裾を掴んでいた。

「こら。悪い子だな。起きてたのか?」

「ん……ユノが触るから。」

「起こしてごめん。準備してくるよ。まだ早いから寝てて。」

軽くおでこにキスして立ち上がる俺を、チャンミンは離さない。

「ユノ……。」

上目遣いで口をへの字にされたら、我慢できない。

「どうした?離れたくない?」

唇にキスを落とし何度も啄むと、チャンミンは抱きついてきた。
あまりの可愛さに止まらなくなったキス。

「ん……ユノ……。」

掠れた声でさえずるんだから、たちが悪い。
時間がないのに、もっと触れていたい。

「チャンミン……駄目だ。抱きたくなる。」

「ふふ。遅刻するよ。」

「自分で誘ったくせに。」

チャンミンを抱き上げて俺の身体の上に乗せ、濃厚な口づけを交わした。

胸元にしがみついてすり寄るチャンミンの髪が口に入っても、構うことなく貪った。

「ユノ……ほんとに遅れるよ。」

時計は6時になろうとしている。

「やばい。」

「今夜、帰ったらする?」

「え?いいのか?取材だろ?」

チャンミンは火照った身体を擦り付けて耳元に温かい息を吐いた。

「したくなっちゃった。」

堪らない。
甘いお誘いに応えるためなら仕事は後回しでいい。

「今夜は早く帰る!」

「うん……僕も食事会早めに切り上げるように頑張る。」

俺は俄然やる気になった。

「よし!今日も1日仕事頑張ってくる!」

「ん。行ってらっしゃい。」

「チャンミンも頑張ってな。」

シーツにくるまって手を振るチャンミンに後ろ髪引かれつつ、高速で準備して車を走らせた。
運転しながら、朝の甘いチャンミンを思い出してにやけた。


会社ではレオンさんが会議の準備を整えていた。

「ごめん!遅くなった!」

「おはようございます。珍しいですね。こんなギリギリ。」

「ちょっと……寝坊した。」

照れ笑いした俺の顔には、にやけが混ざっていたらしい。

「やだやだ。朝からチャンミンさんとイチャイチャしてたんじゃないでしょうね?」

「ま、まさか。」

「お2人には倦怠期はないんですか?」

「まだそんな感じじゃないかな。小言の多さには参るけど、何しろ今日はチャンミンが朝から可愛くて。」

「やっぱりイチャイチャしてましたね……。」

「う……。」

会議が始まって、俺はレオンさんの追及を免れた。

「レオンさん、ユノ、おはよう!」

明るく覇気のある声。
PC画面の中で手を振る編集長の笑顔に心が和んだ。東方見聞誌を離れても、俺と編集長の繋がりは変わらない。

夏にベルリンで開かれる展示会に東方見聞誌がブースを出すことになっていて、今朝はその打ち合わせ。

「ユノさ、1度来日できないか?展示品の決定に加わって欲しいんだ。画面じゃ伝わらないことも多い。」

レオンさんは頷いた。

「それがいいですね。他の取引の商談と合わせて、予定組みましょう。」

日本には半年以上帰っていない。
早めのサマーバケーションを兼ねて、チャンミンと帰国できたら最高だ。

イースター休暇を棒に振ったんだから、チャンミンも1週間くらいなら休めるだろう。

休暇が義務づけられているドイツで働いていることをありがたく思うのはこんな時。

仙台の温泉宿にチャンミンを連れて行きたい。
女将にのろけ話を聞いて欲しい。

今朝のお誘いと言い、日本への旅行と言い、胸が高鳴る予定に恵まれた今日の俺の運勢は絶好調だ。

会議後、猛烈な勢いで仕事をこなす俺に、レオンさんは「ははん。」と頷いた。

「今夜はお楽しみでもあるんですか。」

「ふはは。野暮なこと聞くなよ。」

「休暇前から楽しそうで何よりです。」

デスクに飾られたチャンミンの写真。
昨年、庭で水仙を摘む姿を撮影した。
春の妖精みたいに可憐な姿を眺めれば、大変な仕事も苦痛ではない。

きっちり6時に会社を出て会社近くのショップで白ワインとハムを買い、7時には家に帰った。

チャンミンは何時に帰ってくるだろう。9時には帰って来て欲しい。

ハムと野菜をつまみながら、珍しく掃除機をかけ、洗濯もした。

「雰囲気作っておくか。」

スーパーに出掛けて新しいキャンドルを買い、ベッドルームを飾る。
アロマキャンドルに1つ火をつけ、甘いバニラの香りも演出した。

「ちょっとやり過ぎで引かれるかな……。」

俺は舞い上がっていた。
平日にチャンミンと愛し合えるなんて滅多にないことで、ボーナス前の会社員の気持ちになっていた。

10時になってもチャンミンから連絡はない。
ヘキストのレストランに行ったなら、ある程度場所は絞られる。

気持ちがはやり、迎えに行こうかと靴を履いては、「同居人が迎えとかおかしいだろ!」とご機嫌を損ねかねないと思い直す。

『まだ帰れない?』

スマホに送ったメッセージに返事はなく、結局11時過ぎにチャンミンは帰って来た。

「ただいま。」

ほろ酔いのチャンミンは、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注ぎ、リビングで仏頂面している俺のところまでふわふわ歩いてきた。

「意外と楽しかったー。ハヤシさんが陶器に詳しくて、盛り上がっちゃって。」

俺に寄りかかり、頬を染めて楽しそうに食事会の様子を話し出した。

「その前に言うことあるだろ。」

「ん?あ、スマホ返事しなくてごめん。」

「そうじゃない。」

俺が1日楽しみに過ごした朝の約束はどうなった。

「早く帰るって言ってただろ。」

「ごめん。わざわざ日本から来てるんだから、立ち去れなくてさ。」

馬鹿馬鹿しい。
チャンミンにとってはその程度のことだったってこと。

性のすれ違いってやつか。
愛し合うことを、こんなにも求めているのは俺だけ。勝手に盛り上がって、期待して、準備までして、全てが虚しい。

「明日こそ仕事片付けたいからもう寝るよ。」

「え。」

「今日は早めに切り上げて帰って来たからな。」

「……そう……。」

「チャンミンも明日取材だろ。早く寝ろよ。」

「……うん。」

チャンミンは俯いてグラスをくるりと撫でた。

会話を続けたら下らない愚痴がとめどなく溢れそうで、俺はおやすみのキスもせず寝室に入った。

バニラの甘い香りで噎せる寝室。
チャンミンが寒くないように暖房をきかせた部屋の生暖かさが鬱陶しく、窓を開けて換気した。

夜の冷たい空気で淀んだ気持ちを洗い落とし、俺は横を向いて眠った。

チャンミンの方を向かないことが、せめてもの抗議だった。

チャンミンがその晩、俺の背中に一晩中寂しそうにすり寄って居たことなんて、その時は知らなかった。



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シムドールは今日も憂鬱 22

シムドールは今日も憂鬱
22



王子が、また微笑んでくれた。
王子が、すぐそばに居る。
こんなところまで、俺を助けに来てくれた。

シムドールは、王子が堪らなく愛しかった。

微笑んだ後、王子は何度か腕を動かそうと試み、眉を下げた。

「シムドール……ごめん。腕が動かなくて持ち上げられないんだ。ちょっと待ってね。」

シムドールは、王子が怪我を抱え満身創痍で自分を追いかけて来てくれたことに胸が抉られるように痛んだ。

王子の顔が苦痛に歪むのが辛い。

シムドールは泣いた。

「シムドール。泣かないでよ。シムドールが泣くと私も悲しくなる。」

王子は身を乗り出してもう片方の腕を伸ばし、シムドールのヒラヒラシャツを掴んだ。

シムドールは、王子が腰まで火口の斜面に乗り出していることに慌てた。

『王子まで落ちる!』

「シムドール……ほんとにごめん。手が痺れちゃって、もう力が入らなくて。」

王子はふっと息を吐き、シムドールを見つめた。

「ねぇシムドール。私にはシムドールが必要なんだ。シムドールが居ないと眠れない。眠れない私は、生きていけない。」

シムドールの顔に、王子の肩を染める血がぽとりと落ちた。

「お願いだよ。泣かないで。シムドールがそばに居てくれたら、それでいい。」

シムドールの顔に、今度は透明な雫が落ちた。

王子の瞳から溢れる美しい涙が、次々とシムドールの頬に降った。


「大好きだよシムドール。」


シムドールは、キラキラと輝き始めた。
身体がむくむくと大きくなる。

王子の言葉に心臓はきゅっと握られたように小さくなっているのに、身体は逆に大きくなる。

『魔法が……解ける!』

最悪のタイミングだった。

重量を増すリュックが、王子の身体を火口へと引き寄せる。シムドールの身体がリュックから飛び出し、重みに耐え兼ねた王子の身体がずるりと動いた。

「王子!!」

マグマに向かって火口の底へと滑り始めた王子の身体を、シムドールは左手で必死に掴んだ。
2人の身体は高速で斜面を滑り落ちる。

シムドールは無我夢中で右手を伸ばした。
なんでもいいから何かに掴まって王子を助けなければ。

何度も石を掴んだ。
だが緩い土壌に埋まった石は2人の重みですぐに剥がれて落下を再開させる。

シムドールの白魚のような細い指は、黒く、傷だらけになった。
足も懸命に踏ん張るが、火口の急斜面は崩れやすく、2人の体重を支えてくれない。

シムドールのパンツは破れ、膝小僧から血が滲んだ。

もう……だめか。
苦しまずに死にたいけれど、マグマに沈んで焼けるのはしんどそうだ。

せめて王子の苦痛が和らぎますように。

シムドールは王子を抱き締めた。

「きゃーーー!!!ユノユノ!!!」

耳をつんざく悲鳴が火口の向こうから聞こえた。叫び声と同時に、どすんと大きな衝撃。

「いってぇ……。」

斜面の中腹にあった岩塊の上の僅かな空間に、シムドールの身体はなんとか乗っていた。

シムドールは岩に身体を打ち付けられても、王子を離さなかった。

「王子?」

力なく色を失った王子の顔を起こし、シムドールは頬に触れた。

王子は身体を起こそうとしたが、小さく呻いてシムドールの胸に倒れた。

王子の肩は鮮血で染まっていた。
落下の途中でどこかに打ったのだろうか。衝撃で傷口からの出血が酷くなっている。

「俺のためなんかに!バカだろ!!」

シムドールは王子を抱き締めてボロボロ泣いた。



さて、シムドールと王子がドラマチックな展開を迎えていた頃、火口の上ではキュヒョンが大きな目をぱちぱちして辺りを見回した。

「は?ここ、どこ?」

街でチャンミンを探していたはずなのに。

「これ、夢か?」

王子がシムドールと再び触れ合った時点で、キュヒョンにかけられた魔法は解けていた。

「確か飲み屋の帰りに……。」

そうだ。
突然捕まって、にやついた魔法使いに魔法をかけられたのだ。

「これは現実?」

立ち上がって火口を覗いたキュヒョンは、遥か下の岩棚にチャンミンと王子の姿を捉え、でかい目を更に見開いた。

「チャンミン!!!」

河口を吹き抜ける風でキュヒョンの声が聞こえないらしい2人は、抱き合っている。

「これは一体どういう状況………ふげっ!!!」

呆然としていたキュヒョンは、後方から走ってきた馬に蹴られた。

馬から飛び降りた女性がキュヒョンを掴んでぶん回す。

火口の反対側から2人が落下するのを見たイェソンとイトゥク様は、絶望的な悲しみにうちひしがれてここまで馬を走らせて来た。

「おんどれユノユノに何してくれとんじゃー!」

「わーっ!姉上!お気を確かに!!」

錯乱してお下品かつ暴力的になってしまったイトゥク様を、イェソンは何とかキュヒョンから引き離した。

「姉上!彼は被害者です。」

「あ!お前あの時の魔法使い!」

イェソンはキュヒョンに頭を下げた。

「申し訳ありません。説明と謝罪は後でいたします。今は王子とシムドールを助けねば。」

怒りが静まったイトゥク様はよろよろと火口に近づいた。

「ユノユノ!!ああっ。あんなに下の方に。」

火口の向こう側から見た時より、上から見る王子とシムドールはかなり遠い。

イェソンは再会を喜んで首をすり寄せているブラックジャックとブラウンシュガーを眺め、キュヒョンに手の平を差し出した。

「ナイフください。」

「ナイフ?」

キュヒョンの胸ポケットには、覚えのないナイフが刺さっていた。

イェソンは2頭の馬に歩み寄り何やら話しかけると、たてがみを切り落とした。

「これを結んでください!」

「こんなもので何をするって言うんです!?」

いぶかしむキュヒョンに、イェソンは無理やりたてがみを握らせた。

「いいから!ノルマは1人1メートル!」

せっせとたてがみを結んで紐を作る高貴な服装の2人。キュヒョンも仕方なく手を動かした。

3人が結んだ紐を繋げ、3メートルほどになったところで、イェソンは大地に魔方陣を描いて唱えた。

細いたてがみの紐がむくむくと膨らみ、太く長いロープに変わった。

「うわ……すごい。」

「よし。これを垂らして引っ張り上げますよ!」


落ちてきたロープに、シムドールは頭上を見上げた。

複数の人影が見える。

「王子!助けが来ました!」

王子は力なく瞼を上げ、シムドールの身体にロープを巻こうとする。

「何をするんです!まず王子が……。」

「シムドールが先に行って。私は王子だ。好きな人より先に助かることなんて出来ない。」

シムドールは目をひんむいて怒った。

「ここだっていつ崩れるか分かりません!私だって、好きな人を置いてはいけません!」

「シムドール……私のこと……。」

「す……すっ……好きですよ!」

真っ白だった王子の頬はピンクに染まった。

「シムドール……。」

シムドールは自分の腰にロープを巻き、王子を胸に抱えてキスした。

「もう1度抱き締めて眠ってくれるまで、絶対に離しません!」

「きゅう……。」

王子は幸せと寝不足と寒さと出血が相まって、意識を失った。




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シムドールは今日も憂鬱 21

シムドールは今日も憂鬱
21



誰よりも可愛いユノユノ。
ユノユノに何かあったら、生きていけない。
ブルーマウンテンの火口に飛び込んで死んでしまった方がマシ。

悲痛な嗚咽を続けるイトゥク様に、イェソンはシムドールとユノユノ王子の間に愛情を育みたいと願った自分の気持ちを打ち明けた。

「なぜ、そんなことを……。」

「シムドールは、王子が恋することで魔法が解けて人間に戻ります。私は魔法を解きたいんです。」

「そんな。ユノユノが男の人形と恋だなんて!いけません!」

口では否定したが、イトゥク様はこのところ読み耽っていたBL漫画の影響で少々胸が高鳴った。

「私はね、姉上。常識を超えた恋を姉上に見て欲しかったのです。」

「私に?」

「そうです。男だったことを隠し、胸に痛みを抱えて生きる姉上を救いたかった。」

「何を言うんです。ユノユノには何の関係もないでしょう!」

イェソンは震えるイトゥク様の指にそっと片手を添えた。

「王子は、姉上とシウォン様の生き写し。姉上がどう願おうと、王子はシムドールを好いていますよ。ご自身の命を危険に晒しても、守ろうとなさったのですから。」

「そんな……。」

「まだご本人は気づいてらっしゃらないようですが、王子の好みはシウォン様にそっくりです。」

「ん……それはちょっとムカつくわね。」

イェソンは焦った。

「そ、そう言う意味ではありません……。シウォン様は姉上に夢中です。今のは単なる好みの話です。」

無言になってしまったイトゥク様に、イェソンは優しく話を続けた。

「王子は今、シムドールのために怪我をおして走り続けていらっしゃる。自分を顧みず、愛しい者のために一直線に。誰かにそっくりでしょう?」

「……私だと……言いたいの?」

「ええ。恋のために人間になった時の姉上の無鉄砲さそのもの。」

「嫌ね……。」

「姉上……仕方ありませんよ。ユノユノ王子はあなたの子なんですから。シウォン様と姉上の、大切な愛の結晶。」

イトゥク様の涙は止まらなかった。
でもその涙は、悲しみだけの涙から少し温かい涙に変わっていた。

「まったく、姉上にはいつも困らされます。私の気持ちも少しは考えてくださいよ。心配ばかりさせて……。私は、シウォン様よりも姉上のことを考えてきました。」

「イェソン……。」

「昔みたいに、屈託なく笑う兄上が、私は恋しい。」

ずっとそばに居て、自分を支えてくれた愛しい弟の思いに、どう報えばいいのか。
もう兄には戻れない。

イトゥク様は、今の自分に何ができるのか、初めて考えた。嘘で塗り固めた女王としての毎日ではなく、素直な自分の幸せとは何なのか。

「イェソン。とても難しいわ。」

「いいんです兄上。今は、ユノユノ王子のご無事だけを祈りましょう。」

イェソンはイトゥク様の手をもう一度強く握った後、手綱を掴んでスピードを上げた。



王子とブラックジャックは、途中小川で水を飲んだ以外全く休むことなくシムドールの芳しい香りを追い求めた。

砂と岩だらけになった山道は険しく、さすがのブラックジャックにも疲労が浮かぶ。

「ごめんねブラックジャック。無理をさせて。」

ブラックジャックは自分の疲れより、血の気の失せた王子の冷たい身体が心配でならなかった。

「シムドールの匂いがどんどん強くなっているんだ。もう近いはずだから。頼むよ……。」

「ブヒヒン!」

真っ暗な山肌が少しずつ明るくなる。

「火口が近いね。」

山頂と中腹に2つの火口を持つブルーマウンテンは活火山。南の火口は真っ赤なマグマをたたえ、この星の伊吹を地表に露にしていた。

火口の縁を迂回する道の先に、赤く染まった馬と人の輪郭が浮かんでいる。

「シムドール!」

卵程の大きさでも、王子にはシムドールが見えた。

キュヒョンの背負うリュックから顔だけ出して地面を見つめていたシムドールは、王子の声がした気がしてふと視線をあげた。

丸い火口の向こうを走る黒い馬。
その背に身体を預ける白いシャツ。

もう会えないかと思ったユノユノ王子。
その姿が、どんどん大きくなる。

『王子……!』

「シムドール!シムドール!!」

王子が俺を呼んでいる。

無事だった。
王子が無事だった。

シムドールにはそれが何より嬉しかった。

スピードを上げて駆けるブラックジャックに気づいたキュヒョンは先を急いだが、俊足のブラックジャックとの距離はみるみる縮まった。

「王子から離さないと……。」

魔法の解けないキュヒョンにシムドールは懸命に叫んだ。

『キュヒョン!止まれ!お願いだから!』

ブラックジャックの鼻息が迫り、焦ったキュヒョンは馬から飛び降りた。

「チャンミンをSMカントリーに……連れて行かなきゃ!」

駆け出したキュヒョンを邪魔するように、背中のリュックが上下に揺れる。
キュヒョンはリュックを降ろし、前に抱えて走り続けた。

『キュヒョン!頼むから止まって!!』

シムドールの叫び虚しく、キュヒョンは馬の鼻息から逃れようと小道を逸れ、石ころだらけの荒れた大地を転がるように疾走する。

シムドールの視界の端に、真っ赤なマグマを滾らせる火口の底が見え隠れしていた。

「シムドールを返せ!!」

王子の怒りに満ちた声がこだまする。

声に戦いて足が縺れたキュヒョンは小石に躓き盛大にずっこけた。
瞬間、リュックはキュヒョンの手を離れてシムドールを乗せたまま宙を舞った。

シムドールの視界に、火口のマグマが広がった。

『ひえー!!!落ちるー!!!』

神様、仏様、魔導師様。
マグマで焼けただれて死ぬなんて酷すぎる。

俺の人生って何だったんだ。
こんなに美しく生まれたのに、人形になって自由を奪われ、若くして死ぬなんて。

俺には、幸せなんてあったんだろうか。

人生の幸せな瞬間を思い出そうとしたシムドールに浮かんだのは、王子と過ごした日々のこと。

シムドールは目を閉じた。

『お城のフカフカベッド、気持ち良かったな。』

『王子に抱き締められると、ぐっすり眠れたな。』

『王子のキス、気持ち良かったな。』

『いつか誰かと、恋するのかな。』

『きっと素敵な王様になるだろうな。』

『俺が居なくなっても、眠れるといいな。』

憂鬱だった城での生活。
死を前にして思い返せば、くすくすと笑いたくなる、楽しい生活。

王子との時間は、シムドールにとって幸せな時間だった。

ゆりかごの中に居るように、守られていた。

『俺ってバカだな。』

今更気づいても遅いのに。

放物線を描いて火口へと落ち行くシムドールの身体は、軌道の途中で大きな衝撃と共に土壁に激突した。

『ぐへっ!』

全身を強打したシムドール。

『いってぇ……。』

シムドールの身体は、左右にゆらゆらと揺れていた。

『ん?ほんとにゆりかごの中みたいな……。俺、もしかしてもう死んだ?』

目を開いたシムドールの目に映ったのは、王子の手と、血が滲んだ白いシャツだった。

火口の縁に転がって手を伸ばした王子の指先に、リュックの肩かけはしっかりと握られていた。

『王子!』

「シムドール……。」

王子はにっこり笑った。

王子の笑顔は、死人を迎えに来た天使みたいに美しかった。




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シムドールは今日も憂鬱 20

シムドールは今日も憂鬱
20



シムドールを連れ去った男は、ブルーマウンテンの麓で馬を休ませるため道沿いにあった民家に立ち寄った。

偶然にもそこは、イトゥク様が身を寄せるヒチョルの家だった。

「夜分遅くに申し訳ない。水と藁を分けていただけませんか。」

突然の訪問者にフィギュア製作を邪魔されたヒチョルは不機嫌な顔をしたが、玄関に立つ男を見ると、大声でイトゥク様に声をかけた。

「おい!イェソンの魔法がかかった男が来たぞ!」

ヒチョルは魔導師一族のはしくれ。
一族の者がかけた魔法を察知する力くらいはあった。

読みかけのBL漫画片手に寝室から出てきたイトゥク様は、男が背負っていた荷物から取り出した人形を見て、漫画をぱさりと落とした。

「いやぁー!忌まわしい人形!!」

シムドールも叫んだ。

『ひえぇー!鬼嫁!!』

「人形ではありません。チャンミンです。」

自分を持ち上げた男性の声に、シムドールは仰天した。
忘れるわけがない。
村でずっと一緒に居た幼馴染の声。

シムドールはまたも叫んだ。

『キュヒョン!!!』

自分を拐った犯人は幼馴染のキュヒョン。

どういうこと?
俺を助けに来てくれたとか?
いやいや、だったらなんで拐う必要が?
あんな騒ぎを起こして?

この家の男、魔法をかけられていると言っていたな。キュヒョンはもしや、俺と王子を引き裂くために使われているのか?

『分っかんねぇ!』

混乱で目眩がする頭を何とか働かせようとするが、ヒチョルの顔面が迫り、シムドールの思考は停止を余儀なくされた。

「すごい!この人形、超美形じゃないか!」

興奮気味のヒチョルはシムドールの手や脚を触りまくって姿勢を変え始めた。
腕を上げられ、手を耳に置いて立たされる。

『やめろ!くすぐったい!』

悶えるシムドールは、最終的に「うっふん」みたいなポーズにさせられた。

『屈辱。』

ヒチョルは目を爛々とさせて喜び、デッサンを始めた。

「お兄さん!裏に水も藁もあるから自由に使ってくれ。その代わり、この人形は少々借りる。」

「少しだけですよ。すぐ出ますので。」

「うぉー。急いでデッサンしないと!」

ヒチョルは目を血走らせ、目に見えない程のスピードで鉛筆を走らせた。



裏庭で馬に食べ物を与えるキュヒョンのもとに、イトゥク様はヒタヒタと近づいた。

「あなた、何故あの人形を?」

キュヒョンは眉を寄せ、イトゥク様を不躾な目で上から下まで眺めた。

「チャンミン……。」

どんな魔法がかかっているか分からない。
イトゥク様はキュヒョンの虚ろな瞳を探りつつ、低姿勢で話した。

「失礼。チャンミンさんを何故連れてらっしゃるの?」

「何故……何故でしょう。」

「どこで出会ったのかしら。」

「街で見かけたので。王子から離さないと……。」

イトゥク様は思わぬ言葉に目を見開いた。

「王子!?ユノユノが街に居たの!?」

「さあ……。私は兎に角、チャンミンを離さないと……。」

イェソンが魔法をかけたのなら、自分のためにシムドールを取り上げてくれたのだろうか。

要領を得ない話にイトゥク様は困惑していた。

「何なのかしら。イェソンは何も言っていなかったのに……。」

男はせっせと馬の世話を続けている。

「あの……これから何処へ?」

「どこでしょう……私は……チャンミンを……遠くへやらないと。」

シムドールをどこか遠くへ連れて行くように魔法がかけられているらしい男。

イトゥク様は、この男を利用しようと思った。
シウォン様をたぶらかすシムドールには、この国から消えて欲しい。

「遠くへ行くなら、ブルーマウンテンの向こうのSMカントリーを目指すといいわよ。」

「山の向こう……。」

「そうよ。SMカントリーはTBワールドのお隣の国。美しい男がたくさん居る素敵なところよ。チャンミンさんにぴったりでしょう。」

「分かりました。ありがとう。」

うまく行った。
イトゥク様はほくそ笑んだ。
隣国まで遠ざけてしまえば、シウォン様の浮気は回避される。

家に戻ると、ヒチョルはまだデッサンを続けていた。
今度はシムドールに「だっちゅーの」の格好をさせている。

「いい気味だわ。シウォン様をたぶらかした罰よ。」

イトゥク様は嫉妬のせいで悪い女になってしまった自分に後ろめたさを感じてはいたが、国の安泰のためと言い聞かせた。



キュヒョンとシムドールがヒチョルの家を出て行き、ほっとしたのも束の間、今度はイェソンが血相を変えて駆け込んできた。

「兄……姉上!馬に水と餌を!」

「え……。」

デジャヴのような光景に言葉を失ったイトゥク様の横で、目にも止まらぬスピードで鉛筆を走らせ続けているヒチョル。

テーブルに何枚も広がる「うっふん」及び「だっちゅーの」ポーズのシムドールのデッサン。

「それはシムドール!シムドールがここへ!?」

「あ……ええ……。」

「来たんですね!?王子は!?」

「ユノユノ?やはりユノユノはこちらに来ているの?」

イェソンはイトゥク様の肩を掴んで唇を歪め、涙目になった。

「私の弟子がとんでもないことを……。王子にお怪我をさせてしまいました。」

イトゥク様は顔面蒼白になった。

「ユノユノが、怪我!?」

怪我の状況を聞き、床に崩れたイトゥク様の手を、イェソンは跪いて握った。

「姉上。申し訳ありません。こんなはずではなかったのです。」

「ユノユノはどこです!今すぐ会わせて!」

「王子は怪我を抱えたままシムドールを追っています。シムドールはどこへ行ったのですか?」

イトゥク様は「ああ……」と目を閉じて嗚咽を堪えた。

「私……なんてことを……。ブルーマウンテンを越えろと。SMカントリーを目指せと言ってしまったの。」

「ブルーマウンテンを越えて……。」

SMカントリーに続く山道は、ブルーマウンテンの南の中腹にある火口を抜ける悪路。

「怪我を抱えて山越えなんて。ユノユノが……ユノユノが……。」

床に突っ伏して泣くイトゥク様。
そばに居たいが、今は王子を探さなければならない。

「姉上。私は行きます。」

イトゥク様は呼吸を整えて起き上がった。

「私も行きます。連れていって!」

有無を言わさぬ目だった。

「分かりました。」

山越えに備えて防寒着をヒチョルから借り、イェソンはイトゥク様をブラウンシュガーの背に乗せた。

「姉上。しっかり掴まっていてください。」

2人はブルーマウンテンの険しい山道をのぼった。温暖なTBワールドでも、山の夜は寒い。

イェソンの腰に回したイトゥク様の手は、手袋をしていても震えた。

「ユノユノは、コートを持っているの?」

「いいえ。乗馬服しかお召しになっていないかと……。」

「ああ……ユノユノ!!」

イェソンの背に顔を埋めて泣くイトゥク様の嗚咽は、ブルーマウンテンの山肌に響いた。




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釉薬のさえずり 3

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釉薬のさえずり
~土と焔の森 番外編~
3



4月の半ば、春のくすぐったい風が吹く夜のはじめ、ガーデンハウスに日本からの取材クルーが訪れた。

「こちらが同居しているユノです。フランクフルトの貿易会社で働いています。」

チャンミンは俺を紹介する時、唇の皮をいじった。
嘘をついている心理からか、俺への後ろめたさからか、いつもより落ち着きがない。

先頭に立っていたリーダーらしい男性がお辞儀した。

「はじめまして。お邪魔して申し訳ありません。プロデューサーのコイケです。」

「こちらはカメラマンのハヤシ。音声のユノキ。アシスタントもします。」

日本からやって来た3人は、大手テレビ局の下請けとして、俺でもよく知る番組の映像を制作する会社に勤めていた。
最初に名刺交換するあたり、いかにも日本人らしい。

音声兼アシスタントのユノキさんは、入社間もない初々しさを残した女性だった。

「私と名前似てますね。」

「ユノキマオと申します。」

「ややこしいですから、マオとでも呼んでやってください。私たちもそう呼んでますから。」

「じゃ、遠慮なく。マオさん。」

彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。

プロデューサーのコイケさんはまだ30代後半で、いかにもテレビ関係の仕事をしていますと言わんばかりの洒落た好男子。

カメラマンのハヤシさんは、長髪を後ろで束ねた山下達郎似の年配男性。

3人とチャンミンはダイニングテーブルを囲んで明日からの打ち合わせを始めた。

手持ちぶさた。
お茶を入れようと立ち上がったチャンミンに声をかけた。

「俺がやるよ。」

「あ、ありがとう。」

真面目な青年ぶっているチャンミンの、よそ行きの声音が面白い。

「ユノさんとチャンミンさんはドイツで知り合われたんですか?」

コイケさんは俺に視線をちらっと送った。

「いえ……。」

また唇をいじり始めたチャンミンに変わって俺が口を挟んだ。
お茶を入れながら、平然と話す。

「チャンミンが日本で陶芸をしていた時から知ってはいました。ほぼ一方的にですけどね。私、東方見聞誌で働いてましたので。」

「ああ、あの有名な!」

「ドイツの会社で働くことを決めた頃、この家に出会いまして。衝動的に住み始めたんですけど、賃料が高いので、一緒に住んでくれる人を探していたら……。」

話の方向性を理解したチャンミンが会話に加わった。

「あの。僕も家を探していた時に偶然この家を見つけて一目惚れしたんです。まさか日本人が住んでいて、同居人探しているなんて、驚きでしたよ。」

「へぇー。運命的ですね。」

「そ、そんなロマンチックなもんじゃありません。たまたまです。」

チャンミンは俺の話から逃げるため、紅茶を入れたヘキストのカップを解説し始めた。



やることがない。

自宅での撮影はリビングと庭だけにして貰うことになっていた。

寝室が1つしかない我が家の構造がバレないよう、無駄に動くなとチャンミンに釘を刺されている。

来客中にメールチェックするのは嫌だし、TVをつけたら邪魔になる。
仕方なく、リビングのソファーで雑誌を読むふりをしながら、俺は4人の様子を観察した。

メモ係はマオさんが担っているらしい。
会話は録音もしているが、必死にノートにかじりついてペンを走らせる。

顎のラインでカットされたショートボブの黒髪。
薄いグレーのシャツにジーンズの、シンプルで動きやすい服装。
化粧っけのない肌ときっちり切り揃えた爪に好感が持てる。

たまに顔をあげてチャンミンを見つめる時、マオさんの頬が緩み、女の子らしい赤いリップを塗った唇を僅かに上げて大きな瞳で瞬きする。

明日からの工程表を食い入るように見つめてコイケさんの説明を聞くチャンミンと、マオさんの睫毛をつい比較してしまった。

チャンミンの睫毛の方がびっしり。
指の細さは同じくらいか。
でもチャンミンの方が断然長い。

雑誌に隠れて俺はにやにやした。

チャンミンの方が若い女の子より可愛い。
綺麗。
美人。
完勝だ。


笑顔で並んでクルーを見送った後、チャンミンは空を切る音がする勢いで俺に詰め寄った。

「ユノ!隠れてにやにやしてた!?」

「ああ。ちょっとね。」

「ああん?久々に可愛い日本の女の子見て喜んでたんですか!?」

「はあー?バカ言うなよ。」

「マオさんとか呼んじゃって!」

「おいおい。チャンミンだって呼んでたじゃないか。」

「名字がユノっぽくて嫌だから仕方なくです!」

なんだチャンミン。
にやけてただけでこの嫉妬。

「可愛いなぁと思ってね。チャンミンが。マオさんより断然。」

チャンミンはかあっと赤くなった。

抱き締めて胸元に手を入れ、ネックレスの先に繋がれたアメジストのリングを撫でるついでに胸にも触れると、チャンミンは飛び退いた。

「スーパーでキャベツ買ってくる……。」

「……俺も行くよ。」

春の訪れと共に日の入りは急激に遅くなり、夜の8時になってもまだ外は明るい。

エコバッグを肩にかけたチャンミンと歩くスーパーへの道程。
そっと手を握った俺に困った顔で俯き、チャンミンはコートのポケットに手を入れた。

「なんだよ。」

「まだ取材の人が街にいるかも。」

「宿泊先はフランクフルトだって言ってたじゃないか。もう居ないって。」

「今だけは同居人ぽくしてよ。」

まったく。
ドイツでまで周囲の目を気にしないといけない日が来るとは。

閉店間近のスーパーで必要最低限の野菜だけ買って、俺の半歩後ろを歩くチャンミン。

東京でだって手くらい繋いでいたのに、どうして今になってそこまで気にする必要があるのか、俺には理解できなかった。



俺がプレゼントした淡いベージュのエプロンをつけてキッチンに立ったチャンミンは、玉ねぎと人参を刻み始めた。

「夕飯は簡単でいいよ。明日は早朝から日本とのネット会議があるんだ。今夜は早めに寝る。」

「分かった。」

チャンミンはこの2年でかなり料理が上手くなった。てきぱきと包丁を動かし、野菜がたくさん入ったスープを作る。
隣で手伝う俺に指示を出し、バケットをカットさせた。

「レバーブルストも出そうか。」

「うん。」

レオンさんオススメの店で買ったレバーパテは臭みがなく、ドイツ特有の酸味のあるパンによく合う。チャンミンはいたく気に入り、冷蔵庫に常備するようになった。

「明日は工房の取材?」

「そう。全工程を撮影する予定。僕が案内と通訳しなきゃいけないんだ。」

「チャンミンの取材は?」

「明後日。」

「俺も見てみたいな。チャンミンが取材されるとこ。」

「やめてよ!男の同居人が見学にくるなんておかしい!」

「冗談だよ……。そんなに全力で否定しなくてもいいだろ。」

俺はため息混じりでレバーブルストを乱暴にパンに塗ったくった。

「明日の夜はヘキストの街を案内するついでにご飯行く予定になってるから、ユノはどっかで食べてきて。」

「はいはい。俺も遅くなる。休暇前に仕事片付けてくる。」

「ん。分かった。会社出るとき連絡してね。」

夫婦のような会話。
だが今は同居人扱い。

俺は折角のイースター休暇前に取材を受けたチャンミンを恨めしく感じた。



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シムドールは今日も憂鬱 19

シムドールは今日も憂鬱
19



優勝に向けて直線を駆け抜けていた王子は、シムドールの瞳からキラリと雫が落ちるのを見た。

シムドールが泣いている。
胸がツキンと痛んだ。

「どうして泣いてるの?」

シムドールの表情を捉えようとした視界に、背後から近づく男性が入り込んできた。
気になっていた彼だ。

違和感を覚える。
あの目は普通じゃない。

王子の驚異の動体視力は、その胸ポケットに光るナイフをはっきりと捕らえた。

ほとんど無意識だった。
王子は重心をずらし、手綱を引いた。

「ブラックジャック!左!」

男はシムドールの乳母車に向かう。
乳母車の背後で立ち止まり、シムドールに手を伸ばした。

「シムドール!」

潤んだ瞳でぽかんとこちらを見ているシムドールの可愛い顔。
私の大切なシムドール。
王子は必死で叫んだ。

「シムドール!逃げて!」

無理なことでも、ただ叫んだ。

男に掴み上げられたシムドールは王子を見つめ続けていた。

『ユノユノ王子……。』

そう呼ばれた気がした。

猛然と向かってくるブラックジャックに観客は騒然とする。
更に、ナイフを振り回して周囲を威嚇する男に気づいた人が叫び出す。

逃げる者、立ちすくむ者、泣く者。
混乱を極める聴衆。

振り回すナイフが、止めようとした御者の胸を掠めた。
男に向かって、警官が走りながら銃を構えた。

「駄目だ!打つな!」

銃口の先は、男の胸を狙っていた。

やめろ。
やめてくれ。
シムドールに当たってしまう。

警官とシムドールの間に王子が走り込んだ瞬間、引き金は引かれた。

「パン」と拍子抜けするほど軽い音。
自分の心臓の音の方が、シムドールには大きく聞こえた。耐えられずぎゅっと目を閉じた。

観客の悲鳴の中、ドサリと馬から王子が落ちる音がした。

見るのが怖い。
それでも見ずにはいられない。

シムドールの目の前に、白いシャツの肩を真っ赤に染めた王子が倒れていた。

自分を掴んでいる男はゆっくりと後退りし、観客席の後ろに繋がれていた馬に飛び乗った。

『王子!王子!!』

シムドールは叫び続けた。

走り出す馬。
地面に落ちた王子が顔をこちらに向け、「シムドール」と呟いた。

王子がどんどん小さくなる。
警官と観客が王子に駆け寄り、その姿を隠した。

『ユノユノ王子!』

シムドールの視界は涙で何も見えなくなった。
訳がわからない。
男は掴んでいたシムドールを大きなリュックに詰めて背負った。

混乱と動揺。
男の風貌も、どこに向かっているのかも分からない。

シムドールは呆然としたまま、1日中馬に揺られた。自分がどうなるかより、ただ、王子のことが心配だった。

『王子のバカ、バカ、バカ!』

俺を守ろうと盾になった王子。
馬から落ちた王子がこちらを向いた時の悲痛な眼差しが、瞼から離れない。

温かい笑顔の王子にもう1度会いたい。
抱き締めて眠ってほしい。
あの胸に帰りたい。

ただ王子が安らかであればそれでいい。
それだけでいい。

『ああ……。もう何も望まない。酒もいらない。俺は人形のままでいい。王子。どうか無事でいて。』

シムドールは、王子のことだけを祈った。




王子が落馬した時、森の端ではイェソンが身体からビリビリと電流を走らせて雷を落とさんばかりに叫んだ。

「どういうことだ!!」

わなわなと怒りに震えるイェソンを前に、ドンへとウニョクは抱き合って怯えた。

「シナリオと違うじゃないか!!」

いつもは真っ白なイェソンの顔は真っ赤に燃えていた。

「ちょっ……と……その……。」

ドンへは言葉に詰まる。

「シムドールを襲おうとするだけの予定だろ!何故こうなったんだ!魔法は完璧だったのに!」

「あの……拐ったら面白い……じゃない……ドラマチックかと思いまして。ちょっとシナリオに変更を……。」

「お、お前ら……!」

イェソンがガチ切れしたところを、2人は初めて見た。スパルタ教師なんて甘かった。地獄の悪魔のごとき形相で睨まれ、ドンヘはチビりかけた。

「王子を傷つけた罪は重いぞ!命は無いと思え!!」

ウニョクはイェソンに泣いてすがった。

「警察が銃を抜くとは思わなかったんです!」

「うるさい!!」

イェソンはウニョクを叩き落とし、王子のもとに走った。

「王子!ご無事ですか!?」

王子はゆらりと立ち上がり、ブラックジャックに乗ろうとする。

「な、何をなさってるんです!血が出てるじゃないですか!」

「イェソン先生、何故ここに?」

「あ、えー、たまたま通りかかりまして。」

血に染まった肩を手当てしようとするイェソンを、王子は振りほどいた。

「大丈夫です先生!こんなものかすり傷です。私はシムドールを追います!」

「そんな!どうやって追うおつもりで!?」

「臭いで!」

イェソンの制止を無視し、ブラックジャックに跨がって、王子は方向を迷うことなく走り去った。

イェソンはしばし立ち尽くした。

「す……凄い。臭いフェチ……。」

などと感心している場合ではない。
これは一大事。
王子の手当てをせねば。

イェソンはブラウンシュガーを馬車から外し、王子の後を追うべく手綱を取った。

ブラウンシュガーも迷うことなく走り出した。

「おい、ブラウンシュガー、行き先分かるのか?」

「ヒヒン!」

「あぁ、ブラックジャックはブラウンシュガーの旦那さんなんだね。」

「ブヒヒヒン!」

「なに。愛の力は万里を越える?すごいな……。」

一応解説しておくと、イェソンは動物とお話することができた。

王子はシムドールの服の香り、と言うより汗臭を頼りに、イェソンはブラウンシュガーの愛の力を頼りにシムドールを追った。



王子は肩の痛みに耐えていた。

「ああ……まずいな。」

銃弾は王子の肩を抉っていた。
出血を抑えるためきつく布で縛った腕は、指先が痺れて手綱がうまく握れない。

「ブラックジャック。お前だけが頼りだ……。」

首に上半身を預けてしがみついた王子を振り落とさないよう、ブラックジャックは走った。

ブルーマウンテンの山頂の向こうに日が沈み、辺りが暗闇に包まれても、スピードを緩めることはしなかった。

抉られた肩には感覚が無かったが、シムドールの落とした涙が王子の胸を抉って痛かった。
腕の痛みより、それが王子には辛かった。

憂いをたたえた美しい顔を悲しみで濡らしたシムドールに、もう1度微笑んで欲しかった。

「シムドールは綺麗で、可愛くて……。」

触れるだけでドキドキする。
キスしたら頭のネジが飛んでおかしくなる。

「私の……。」

大切なシムドール。
そばに居ないと嫌なんだ。
ずっと手を握って居たいんだ。
手だけじゃない。
抱き締めると幸せな気持ちで眠れる。

「私はシムドールが居ないとダメみたいだ。」

頭に血液が回らない。
薄れる意識の中で、王子はブラックジャックのたてがみを握って、シムドールの臭いを追い求めた。





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皆様。

ご心配、優しいお言葉、拍手ポチ、たくさんありがとうございます。元気になりました!

週末コメ返できなくてごめんなさい。
仕事もたまってしまったので遅くなりますが、必ずお返事しまーす。

今夜は釉薬のさえずり、投稿有りです。

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シムドールは今日も憂鬱 18

シムドールは今日も憂鬱
18



シムドールと王子は憂いを抱えたまま乗馬大会当日を迎えた。

その日、王子はシムドールを乳母車に乗せて会場まで歩いた。ブラックジャックは御者に連れてくるよう頼んだ。

ごめんねシムドール。
早く人間に戻れるように手伝ってあげなきゃいけないのに。
私が情けないばっかりに、ほんとごめん。

王子は心の中でシムドールに謝り続けていた。
乳母車を押す手元に視線を落とし、青白い顔をしている。

シムドールは白いレースの隙間から見え隠れする王子が心配だった。この数日、王子は眠れていない。

シムドールの手を繋ぐこともなく、頭まで布団に入って、もぞもぞしていた。何度もため息が聞こえた。

『そんなに俺が嫌なら、手離せばいいのに……。』

シムドールは心にもないことを呟きながら、「あら、何ヵ月?」なんて乳母車を覗くおばちゃんが中を見てぎょっとする屈辱に耐え、ガタガタ道を揺られた。

王子はずっと無言で物思いに耽っている。
独り言を呟くことも憚られ、シムドールも無言だった。


乗馬大会の会場は見物客で溢れていた。
華やかな出店の数々。
多数の馬に興奮する子供達。

人々の顔は笑顔で溢れ、警備を担当する警察まで楽しそうにしている。

森の木立から会場の様子を伺うウニョクは、にこにこしているドンヘを不安げに振り返った。

「ねえ。やっぱりやめた方が良かったんじゃない。」

「なんだよ!スパルタ魔導師のびっくりする顔が見たいって、ウニョクだって満更じゃなかっただろ!」

「だってさ。万が一、何かあったらどうするの?」

「大丈夫だって!王子の格好いいとこ見せるためだ。ドラマチックに演出したんだから、褒められるって。」

「そうは思えない……。絶対百叩きだ。」

「心配するなよ。ここ数日見てただろ。王子の乗馬技術ならすぐ追い付くって。スパルタ教師も感動して泣くこと間違いなし。」

「スパルタがどうかしましたか?」

「ひぃっ!スパルタ教師!」

ぬらりと森の奥から現れたイェソンに、ドンヘとウニョクは抱き合ってびくついた。

「王子とシムドールには変わりありませんでしたか?」

「お、王子はずっと1人で乗馬の練習でしたよ。シムドールは宿に置き去り。」

ドンへの報告にイェソンは眉を下げてがっくり肩を落とした。

「折角2人きりにしてあげたのに。その様子では進展なしですね。」

「そうなんですよ。もう、俺達暇で暇で……カモで遊ぶくらいしか……うっ!」

ウニョクがドンへの脇腹をつねった。

「森の池のカモを眺めて暇を潰していました。イェソン先生はどちらに?」

「ちょっと城の用事です。」

若干不穏な空気が流れた3人は会場入り口の小道に視線を送った。カラカラと乳母車を押す王子が入ってくる。

「わ!出た乳母車!」

乗馬服で美しく正装した王子とヒラヒラレースの乳母車。
猛烈な異彩を放つ姿にドンへとウニョクは言葉を失った。

「め、メルヘンチックですね。」

何とか言葉を振り絞ったウニョク。
イェソンは表情一つ変えずに頷いた。

「さすがユノユノ王子だ。おとぎ話の中から生まれたように純真で美しい。」

お城で暮らすとみんなおかしくなるのか……。
ここに至っては、ドンヘが1番まともだとウニョクは思った。


王子は乳母車のシムドールを起こして外が見えるように座らせ、そっと髪を撫でた。

「優勝したら、100万TBドルでキスしなくても人間に戻れるようにして貰おうか。」

『へ?そんな!時間が長い方がありがたいのに!』

王子はシムドールの顔を見つめ、小さく片頬を上げて微笑んだ。

「うん。そうしよう。私はキスできそうもないから。」

『え……。』

後から馬車を引いてやってきた御者の横に乳母車を寄せ、俯いてブラックジャックと共に去っていく王子の後ろ姿。

シムドールは、身体が石になったように冷たく硬くなるのを感じた。

視界が滲む。

思えば、これはシムドールにとって初めての失恋だった。
落とそうとした相手に拒否された。

人形だから仕方ない。
そう自分を励まそうにも、説明できない胸の痛みで呼吸が乱れた。

『あんな子供のくせに……。なんだよ!なんでこんな……。』

ユノユノ王子が真っ白な乗馬服を纏いピンと背筋を伸ばしてブラックジャックを操る姿は、誰もが憧れる王子様そのものだった。

『無駄にかっこいい。ああ……ムカつく!』

子供だとバカにしていた愚かな自分が、惨めだった。

あんなに抱き締めてくれた温かい王子が、もう届かない人になってしまった。
そんな気がした。



王子は気持ちを切り替え、前を向いて歩いた。

優勝してシムドールへのキスを回避すれば、リトルユノユノの暴走は食い止めることができるだろう。

シムドールのためだ。
そう言い聞かせた。

大会が始まり、次々と選手が駆けていく。
物心ついた頃から毎日乗馬の特訓を欠かさなかった王子に勝る者などいない。
優勝は確実に思えた。

王子の出番が迫る頃、思い詰めた様子で観客の端に居る男性に目が留まった。

「あの人……。この前の。」

焦点の合わない瞳が悲しそうに見える。

「ピュア・ユンホさん!準備してください。」

王子は男の様子が気になったが、係員に促されてスタート位置についた。

シムドールがこちらを見ている。

「見てて、シムドール。必ず優勝するから。」

キスの動揺から解放され、毎晩冷静にシムドールと話を聞いてあげよう。
人間に戻れるように、助けてあげたい。
そのために優勝する。

王子はブラックジャックのたてがみをポンと叩いた。

「行こうか!」


馬と駆ける王子の姿に、シムドールはくぎ付けになった。

障害を越える直前にきゅっと上がる細い腰。
たてがみと一体化したような上半身。
まるで人を乗せていないかのような飛越に、あちこちからため息が漏れる。

着地から次の走行への滑らかな移行。
ダイナミックな馬の筋肉の動きとは違い、ぴたりと静止したような王子の頭。

『最悪だ。』

観客は息をするのを忘れて王子に見惚れている。

障害の後の直線に入り、ブラックジャックと王子は風になった。

『最悪だ。最悪だ……!』

シムドールはただ同じ言葉を呟いていた。
こんなにカッコいいなんて最悪だ!
もうキスもできない男にときめくなんて、最悪だ。

シムドールは自分でも気づかぬうちに泣いていた。


ゴールが目前に迫った時、王子は突然方向を変えた。何か叫びながらこちらに向かってくる。

観客がざわつき、何人かが悲鳴をあげた。

「シムドール!後ろ!シムドール!!」

王子が俺に向かってくる。
一直線に。

『王子……?』

事態が飲み込めずにいるうち、シムドールは突如背後から掴み上げられた。





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シムドールは今日も憂鬱 17

シムドールは今日も憂鬱
17



王子の長いシャワーが終わる頃には、時計は23時50分になっていた。

「今日は乗馬で疲れたな。」

素知らぬ顔でシャワーから出た王子は、欠伸を噛み殺す。

ベッドの上に座って膝を抱えているうちに、眠気に襲われたらしい。うつらうつらし始めた。

今夜は王子を落とすよりも1人でビールを満喫したいと思っていたシムドールには好都合。

『よしよし。お子さまは寝てなさい。』

宿の小さな冷蔵庫がキュインと音をたてた。
シムドールの喉も酒を求めてキュッと鳴った。

王子の瞼が完全に落ちた頃、シムドールの身体がキラキラと光を放って膨らみ始めた。

ビール♪
ビール♪
ビール♪

シムドールはそれだけを考えていた。

人間に戻った瞬間、シムドールは冷蔵庫に駆け寄った。
中には、冷えたビールビンと燻製煮玉子が入っていた。

「つまみまであるじゃん!」

シムドールは感激で震える手を伸ばし、夢に見た黄金色の飲み物を抱えてテーブルに置いた。

「ああ……震える。」

部屋に備えられているグラスにビールを注ぐ時間が惜しく、シムドールはビンに口をつけた。

喉を流れるほろ苦い液体。

「あぁ……快感……。」

この街の地ビールは、穀物の香り高くアルコール度数は高め。半年以上の禁酒を経たシムドールの身体中にアルコールが染み渡る。

最初はゆっくりと味わい、後半は一気に喉に流し込んだ。

王子が添えてくれていた玉子は、味が濃くビールにぴったりだった。

「うまい!」

シムドールの喉は次々とビールを流した。

「うぁ……頭クラクラする。」

3本のビールでシムドールの脳はアルコールに毒されてしまった。

「久しぶり過ぎて酔っちゃった。」

立ち上がったシムドールはふらついてベッドに倒れ、枕にもたれて目を閉じている王子の白い頬に触れた。

「うふふ~。ユノユノ王子。ビールありがと!チュッ!」

酒場でオヤジをたぶらかしていた癖が出た。

シムドールの酒臭いキスに、王子ははたと目を覚ました。

目の前に、頬を染めてウフウフ笑っているシムドール。

「し、シムドール!」

「王子~。ビール最高でーす!大好き!」

シムドールは王子を押し倒して抱きついた。

「ぎゃあーーー!!!」

後退りしようにも、ベッドのヘッドボードに阻まれて行き場がない。

「あれれ。王子。どうして逃げるんです。」

前髪を垂らしてシムドールの顔面が迫る。

「ししし、シムドール!酔ってるな!」

「は~い。酔ってまぁーす!」

眉も目尻も唇も垂らしたシムドールは有無を言わさず王子にキスした。

「きゅう!」

王子は唇から伝わったアルコールに脳を殴られ、くらくらした。

「やめてー!!」

「そんなこと言わないでくださいよぅ。玉子すっごく美味しかった♪」

「たまご……たま……おいしい……。」

気化したアルコールが部屋に充満し、ユノユノ王子の理性まで酔わせる。

まずい。
やっと鎮めたリトルユノユノのマグナムが……
王子は枕で前を押さえた。

「なーに隠してんですか!お見せなさい!!」

シムドールは強引に枕を奪い取り、真っ赤なパンツをめくろうとした。

「ち!痴漢!ダメ!絶対!」

「もぅ。恥ずかしがっちゃって可愛いなぁ。」

シムドールの細い指がリトルユノユノの表面をかすめた。

「きゅう!」

王子の理性は風前の灯火だったが、王子としてのプライドはかろうじて残っていた。
やられっぱなしでは情けない。

「シムドール!もう許さん!」

突然の形勢逆転。

馬乗りになった王子は前髪をかき上げ、細めた目でシムドールを睨んだ。

とくん。

シムドールには自分の心臓の音が聞こえた。

王子の男の顔。
撃ち抜かれそうな鋭い目。
首の両側に置かれた腕についた美しい筋肉。
その筋肉の波が形を変え、肘が曲げられる。

腕に見惚れていたシムドールが目線を上げた時、王子の真っ直ぐ高い鼻がシムドールのこれまた高い鼻にぶつかった。

酔っぱらいシムドールが王子の唇を迎え入れようと口を半開きにした瞬間、シムドールは「ポンッ!」と人形に戻った。

時計は1時になっていた。

「あっ……」

王子は呆然として、細めていた目をぱちくりさせた。

「私は何をしようと……。」

『キスしようとしてたやん。』

シムドールは話しかけたが、もう声は出なかった。

赤面した王子はシムドールの手を握ることもなく、顔まで布団にくるまって出てこなかった。

『たかがキスでそんなに恥ずかしがらなくたっていいのに~。ウブなんだから~。』

シムドールは心地よい酩酊の中で満足げに眠った。
王子が心を痛めているとも知らず。



私は駄目人間だ……。

王子はへこんでいた。
シムドールの色香とアルコールの香りに我を失うなんて、王子としてあるまじき醜態。

毎日王子としてのあるべき姿を求めて、朝から晩まで努力を積み重ねて来た。
それがこんなにも簡単に崩されてしまうなんて。

シムドールの色香は、王子にとっての魔性だった。

「シムドール。こんな王子でごめんね……。情けないよ。」

王子は朝まで眠れなかった。

自分が弱いばかりに、人間に戻ったシムドールの魔性に打ち勝つことができない。

こんな自分では、キスなどしたら何をしでかすか分からない。

「私は、シムドールを人間に戻してあげられそうにない。」

次の日から、王子はシムドールにキスしなくなった。



『なんで、なんで、なんで!?』

爽快なビールを楽しみ、幸せに眠ったシムドールが目を覚ますと、どこにも王子の姿は無かった。

朝は必ず頭を撫でてから、景色が見えるように窓際に座らせて出かけるのに、シムドールはベッドの上に放置されたまま。

『俺。なんかやらかしたか?』

久々のビールで調子に乗ったのだろうか。
テーブルで燻製煮玉子を味わったところまでしか明確な記憶がない。

夕方部屋に戻った王子はシムドールに声もかけない。もちろんキスもなし。

ベッドに入る前にシムドールを見下ろした王子は、きょろきょろした後、シムドールを摘まんで乳母車に入れた。

柔らかいタオルをかけ、「おやすみなさい。」と言って部屋の電気を消した。

『まじか。』

人間に戻ることを拒否された。
シムドールはブルブル震えた。

寒くはない。
TBワールドは温暖な上、乳母車はフワフワのクッションで覆われている。
王子に避けられていると分かり、怖くなったのだ。

可愛いとばかり思っていた王子の冷たい対応に、心が芯から冷えた。

『俺は嫌われてるのか。』

毎日キスすると約束したのに。
それを破るほど嫌われている。

どんな女の子も落としてきた。
酒場で微笑めば男達は酒を湯水のように与えてくれた。

だが、今、誰よりも落ちて欲しい相手に、人形のシムドールができることは何もない。

泣きたくなった。




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皆様ご心配ありがとうございます。
風邪は回復傾向。インフルじゃありませんでした。お返事遅くなりますが、コメント読んで元気貰っています。

シムドールは原稿が進んでいるので大丈夫ですが、釉薬のさえずりは今夜はお休みとさせていただきます。

月曜日までお待たせしてしまいますが、どうかお許しください!

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シムドールは今日も憂鬱 16

シムドールは今日も憂鬱
16



何事にもくそ真面目な王子は、週末の乗馬大会に向けて早速練習を始めた。

シムドールはその間、宿に放置され寂しい時間を過ごすこととなった。

楽しみと言えば、今夜遂に飲めるはずのビール。早く人間になりたい。

今日はまだキスされていないことがシムドールは心配だった。

『これでキス忘れたら、まじでぶっ殺す。』

取り残された寂しさを悪態で紛らわす自分には、気付かないフリをした。


ブラックジャックに跨がって乗馬大会の会場にやってきたユノユノ王子は、身分を隠しピュア・ユンホなる偽名でエントリーを完了し、コースを下見した。

城の庭の乗馬コースより状態は悪いが、障害は難なくクリアできそうだった。

ブラックジャックを走らせ、軽々と柵を飛び越える王子の姿に、散歩している老人も、運営スタッフのおじさんも、ベンチで愛を語らう恋人達も、目を奪われた。

その中に1人だけ、王子に目もくれず虚ろな焦点で遠くを見つめ、ベンチに佇む青年の姿があった。

呼吸を忘れたかのように微動だにしない青年が目に留まり、王子は話しかけた。

「こんにちは!いい天気ですね。日光浴ですか?」

「チャンミン……チャンミン……。」

青年はブツブツ呟いている。
王子は青年が心配になった。

「チャンミン?あなたのお名前ですか?」

青年は返事することなく立ち上がり、王子と1度も目を合わせることなく歩いて行ってしまった。

「大丈夫かな……。」

優しい王子は青年が家に帰れるか気になったが、迷うことなくスタスタと小道を歩いていく後ろ姿に、きっと大丈夫だろうと思った。


「今のところ順調ですね。」

木立の影からキュヒョンと王子の様子を確認したイェソンはほくそ笑んだ。

「魔法は完璧ですよ。後は大会当日を待つのみです。」

ドンヘは師匠に胸を張った。

「ドンヘとウニョクの魔法使いとしての腕は信用しています。私は大会当日まで留守にしますので、それまで王子に何事もないか、見守ってくださいね。」

「はいはい。」

「はい、は1回!」

「はい!」

スパルタ教師が不在となり、ドンヘとウニョクは喜んで店に帰った。



イェソンは愛する兄を励ますため、一旦ブルーマウンテンへ馬を走らせた。

案の定、イトゥク様は従兄弟のヒチョルの家でBL漫画を読んで引きこもっていた。

「兄上!」

「……姉!」

「あ、姉上……。いいじゃないですか、ここでは兄上で!」

「イェソン、迎えに来たって帰らないわよ。」

「みんな心配していますよ。シウォン様など、倒れるほどに動揺されて。」

「どうだか。綺麗な男に夢中なんでしょ。ああ!思い出すのも辛い!あの光景!」

だったらその漫画はすぐ閉じた方が良いのでは……と、言いかけた言葉をイェソンは呑み込んだ。

「あ、姉上。シウォン様はご自分の性癖を覆してまで、姉上を愛してらっしゃるんです。」

「やめてちょうだい!私だって、薄々勘づいていましたよ。シウォン様が男好きであることくらい!でも、信じたくなかった!」

イトゥクはよよよと椅子にもたれ、泣き出した。

なんと可哀想な姉上。
イェソンはイトゥクを抱き締め、涙が枯れるまで背中をさすった。

「分かりました。気が済むまでここに居てください。」

「ええ。この漫画を全部読破するまでは絶対に帰りません。」

壁一面に詰まったBL漫画を眺め、イェソンはぎょっとした。数ヶ月かかる恐れ。

「姉上……寝ずに読んでください。」


従兄弟のヒチョルも書斎に籠って何やら怪しげな人形の色付け作業をしていた。

「イェソン邪魔するなよ。今このフィギュアに命を吹き込んでるんだから。」

「フィギュア?」

「樹脂粘土で一から作り上げてるんだ。この風に舞う髪とマント、最高だろ!これこそリアル!」

「…………。」

駄目だ。
ここにずっと居たら、姉上が生粋のオタクになる。早く王子とシムドールに姉上の常識を打ち破ってもらわないと。

イェソンはくそ真面目な顔でヒラヒラレースの乳母車を押して颯爽と人形店を出ていった王子を思い出した。

物陰から覗いていたイェソンは、あの時確信したのだ。

「王子はシウォン様と姉上の遺伝子を色濃く受け継いでいる……。間違いない。」

人形とマジな恋をして、ピュアな変態遺伝子を遺憾なく発揮して貰おう。



乗馬の練習を終えて王子が宿に戻ると、シムドールはどす黒いオーラを発していた。

「え……シムドール。何かあった?」

答えのないシムドールのシャツを指で摘まんでベッドに座らせた王子は、おもむろに紙袋を取り出した。

「ビール買ってきたよ!冷蔵庫に入れとくね。」

シムドールの殺意は瞬時に消え失せた。

『やればできるじゃねぇか。』

しかし、王子はシムドールに近付かず、御者と夕食を食べに出かけ、その後シャワーを浴びて机に向かった。

自主勉強を開始したのだ。

『キス!キス!』

シャーペンをバキバキ折りながらノートに向かう王子の後ろ姿にシムドールは「キスして」オーラを放つが、全く振り向かない。

一方王子は自主勉強後、3行毎に「シムドール」と書かれたノートを見て愕然とした。

勉強中にも関わらず、無意識にシムドールのことを考えてしまった。

人形だが、人形でないシムドール。
身体に触れるとムズムズしてしまうシムドール。
平気なはずだったキスすらできないかも。

寄り添ってキスなんかしたら、リトルユノユノのマグナムがhand on the triggerしかねない。

「発射するわけにはいかない……。私は自制心のある王子、ユノユノ。しっかりしろ!」

心拍を落ち着けて振り返ったユノユノ王子は、足音もたてず静かにシムドールに近づいた。

『な、なんだ。王子の雰囲気がいつもと違う。』

戸惑うシムドールと目線を合わせ、王子は首を傾けた。

「約束のキスをしようシムドール。」

『うへ。臭い台詞。』

シムドールの品のない言葉は、王子の唇でふわりと密封された。

唇を突き出すでもなく、下唇をぷりんとさせるでもない、ただ静かで気品溢れるキスに、シムドールはごくりと唾を飲んだ。

唇が震えた。
目は、自然と閉じた。
このまま王子の胸にもたれたいと思った。

数秒に満たないキスの後、王子は急に走ってバスルームに消えてしまった。さっき済ませたはずのシャワー音が部屋に響いていた。


滝行のように水に打たれながら、王子は暴発寸前のマグナムと格闘していた。

「私としたことが!ああ!シムドールのバカ!」

胸がズキンズキンする。
TBちゃんとのキスは平気なのに。

「シムドールは一体何者なんだ!」

人間と人形の間にあるシムドールの存在を定義するのは難しい。

王子の人生には無かった存在であることだけは確かだった。




20190102015754014.jpg


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

風邪をひいてしまってダウン。
朝投稿しそびれました。
あ、でもシムドールは不定期更新だったなと思いつつ、原稿あるのでアップしちゃいます。

明日はお休みいただくかもしれません……。

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テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

釉薬のさえずり 2

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東方神起 ユノとチャンミンが大好き。
脳内妄想をこっそり綴っています。
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